2.中学生時代:ソフトテニス部
中学生からは部活に入ることになっていたので運動部にしようとは思っていましたが、あまり考えず兄がやっていたからという理由でソフトテニス部を選んだのは失敗だったと今でも思っています。
あいさつや礼儀・声出しに厳しいテニス部でしたが、他の部員に比べるとやる気がなかったので顧問の先生に目を掛けられることなく部の中では下位クラスでした。
シングルスはないためダブルスだけの試合しかありませんでしたが、パートナーとはあまり息が合わなかったことと、練習熱心ではなかったのであまり試合に出る機会もなく過ごしていました。
今では自分の価値観にあった選び方をする大切さにしようという教訓にしているほか、声出しや走り込みはしっかりやっていたので、喉を鍛えられていたり今の運動につながっているかもしれないです。
2.高校生時代:陸上部の走り高跳び
高校の部活では小学生の時に走り高跳びの跳び方の一つであるベリーロールが出来ていたこともあって陸上部に入って走り高跳びを始めました。
跳躍系の運動も好きだったこともあるのと中学の先生から授業か何かで高跳びをしたときにバネがあると評価されていたことも理由にあります。
ただし、知っている人も多いと思いますが、走り高跳びで主流の跳び方は背面跳びです。
背面跳びが合ってなかったかもしれないですが、部活の練習時に着地でマットから落ちてしまいます。
頭ではないですが肩から落ちてしまったため大きな怪我にはなりませんでしたが、それからの練習でもそのことが残ってしまったため思い切り跳ぶことが難しくなってしまいました。
そのため記録が伸びることなく日々が過ぎていきます。
3.跳躍から長距離へ
そんな時に校内のマラソン大会があります。
10㎞近いコースになっていて陸上長距離部員が上位を占める中、なぜか走り高跳びで記録が伸ばせず燻ぶっている僕が入賞者に入っていたことがわかります。
そんなこともあったので、当時の顧問から
「それだけ走れるなら高跳びじゃなくて長距離にしろよ(人少ないし)」
という誘いを受けています。
ただ、当時の僕はマラソンのような長い時間走る運動なんてやりたくねぇよと思っていたので渋っています。
ただ、高跳びの記録も伸びてなかったのは事実だったので、春の大会で記録が無かったら長距離に転向するという条件を出したところ、見事に高跳びの結果を出せずに長距離に転向することが決まりました笑
やりたくないと思っていた長距離を皮肉にも2年の途中から始めていますが、これがものすごく自分に合っていることがわかります。
順調に記録も伸びていって半年後ぐらいには部活のレギュラーのようなポジションになっていました。
当時は貧血もあって暑さに弱かったので夏の時期にあったインターハイの予選ではあまり活躍できませんでしたが、秋にあった高校駅伝のメンバーとして走っていたのと2年の校内マラソンでは長距離部員以外には負けることなくゴールしています。(ちなみにその校内マラソンで僕より上位にいた人とは今も交流があります)
長距離競技は現在でもマラソンを走ることで続いていて、やりたくなかった運動が自信にもなる運動にもなることで、今でもやってないことでもとりあえずやってみようという考えを持っています。
4.次回は
次の内容は社会人になってからになります。
皆さんの体験談や質問もお待ちしています。楽しく健康なライフスタイルを一緒に築いていきましょう!
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